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日本食は日本の風土の中で作られました。

2019/10/18

食事=文化だと思う。生活史=文化であるから。

無形文化遺産としての日本食を改めて考えていて、本棚の中から、平成8年に出版された樋口清之氏の「食べる日本史」という本を見つけました。もう茶色に変色しています。 この本には『ものを食べるという行為は、次元の低い行為と誤解されたり、生活の表層と軽く考えられるが、実は生活の基本であり、文化の出発点である』と書かれていました。
私が言うのもおこがましいですが、全くその通りだと思います

長年栄養指導を仕事とし食事の聞き取りをしていると、その人の性格や健康観が見えてきます。

日本料理が完成したのは、一般庶民が白米を食べられるようになった江戸時代のことです。食事が遊戯化し、酒の飲み比べや大食合戦が流行したそうです。こうした一方農民は貧しくて、白米を食べるのは盆暮か冠婚葬祭で普段はヒエかアワを常食としており、ひとたび冷害や長雨などの飢饉に襲われると、人間らしい食べ物はなくなり、山野に食糧を求め、食べ慣れない草、木、花、根、動物、昆虫となんでも食べて飢えをしのいだようです。中学生のころ習った『享保、天明、天保の大飢饉』は記憶にあります。

このような混沌とした中でどのようにして日本料理が完成されたのか、詳しく調べてみたいところです。しかし、今回はその国の民族と食事には深い関係と意味があるというところに、焦点をあてて書いてみたいと思います。

『近頃の若者は日本人離れしている』と言っていたのはいつごろでしょうか?

それでも私たちは『草食民族』です。

「近頃の若い人は大きくなったねえ。足も長いし、食べ物のせいかね」と生活の洋風化を話していたのはいつ頃のことだったでしょうか?

博物館などに行き、昔の人の衣服などが展示されているとその小柄なことに驚きます。

我が家の息子もすくすくと背が伸びて、長い足をしていましたが、特段西洋風の食事をしたわけではありません。これは父親からもらった遺伝子のおかげだと思います。それと、父親と違うのは殆ど座る生活をせず、椅子の生活をしていたことも関係があるかもしれません。ただ生活環境の変化により、父親よりもたんぱく質やカルシウムの摂取量はずっと多いと思います。

日本人は穀食(草食)民族としての遺伝因子を受け継いできましたが、欧米人は肉食民族としての遺伝子を受け継ぎ、今日に至っています。肉食動物(トラ、ライオン、犬など)の腸は身長(頭から尻尾の付け根まで)の5~6倍の長さだが、草食動物(牛、馬、羊、象など)の腸は非常に長くて馬は身長の10倍、牛は20倍、羊は25倍もあるそうです。そこで、日本人と欧米人の違いはというと動物ほどではありませんが、日本人の腸の長さは耳の線から、尾てい骨までの長さの8倍であるのに対し、欧米人は6倍ほどだそうです。日本人が胴長、短足というのはこの腸の長さのせいだと考えられているようです。

この体格の差というのは、10年や20年、または1970年代の日本が豊かになってきた年月からの50年としても、とても遺伝子に変化を与えられるものではありません。何代も何代も世代を重ねなければ変化するものではないのです。後天的に得た遺伝子を元に返すためには、遺伝子が形成された年月のおよそ3分の1の年月が必要だと言われますから、日本人がこの体型を形成した年月の3分の1というのは途方もなく長い年月(1000年位?)が必要だということになります。幼い時から、動物性の食品を多く摂れば体格は大きくなるかもしれないが、体の中身が変わるというものではないようです。肉食に偏った生活をして、植物性の食品を摂らないでいると体は大きくなるかもしれないが、様々な障害があらわれてくると思います。図体は大きくなっても体の中身が伴わないと心配です。

『おふくろの味』『肉じゃがが作れる女子』というような話も聞かなくなりましたね

今はどのような話があるのでしょうか?

私が年を取ったせいか、若者と雑談などをしないせいか、『おふくろの味』などと言う言葉も聞かなくなりました。食を取り巻く環境が急速に変化してきたのはこの10年足らずの間のような気がします。

これも地域によっても違うのでしょうが、少なくとも私が勤務する街中で生活している若者たちの食生活はとても心配です。病気になって、私が食事の聞き取りをするということになった背景があるからか、昼夜の境が無くなってしまった人や、およそ食事らしくないもの(嗜好品と呼んだ方が良いもの)でお腹を膨らませていたり、自宅で食事の準備をすることがなくて、すべて外食か中食と呼ばれる買ってきた調理品を食べる生活です。しかし、少しづつ食事を変えていくと改善してきます。 食べものが簡単に手に入るが故に、何も考えないで、好みのまま食べてしまうことになるのでしょうね。

四季と日本食

飽食の時代と言われ始めてから、どれくらい経ったのでしょうか? 今では食べ物が溢れていて、いつでも簡単に手に入り、それが普通になっています。そういうことに違和感を感じなくなってしまったんですね。腹八分目を知らない若者がいたり、空腹で食事をすることが少なくなっています。食べるものがあることが、幸せなことだと感じたり、少しの食材をうまく組み合わせて上手に食べたりということが、できなくなってきています。 四季のある国はたくさんありますが、海や山にと季節ごとに収穫物が違っていて、より一層季節の移り変わりを実感させてくれる国はそうないのではないでしょうか?

昨今では、野菜や果実の季節感も薄れてきています。

先日、娘と懐石を楽しむ機会がありました。

懐石は千利休が茶の湯とともに一期一会の精神を大切にし、完成させたものです。私がいただいたのは一汁三菜のお昼の茶懐石ですが、10月というのはまだ冬にはならないので、『名残りの月』と呼ばれ風炉釜から炉を開く前の切り替えの時期で、まつたけや栗、菊花など秋の入り口の風情を感じさせる食材を使ってあり、「ああ、こうして秋が深まっていくんだなあ」と手をかけた料理に日本人であることの幸せを感じたものです。

『日日是好日』

『日日是好日』というのは昨年観た映画の題名です。この映画は卒業まじかの女子大生が、茶道を習ったことで季節のことを感じられるようになったり、なんてことはない日々の営みの中で行きつ戻りつしながら成長していく話です。 食に関しても、もっと丁寧に食事をし、食べられることに感謝をし、自分にとっての適切な量をお腹と相談しながらゆっくり食べれば、腹八分目で済ますことができるのではないでしょうか?無駄に食べ過ぎて、病気にならなくても済むのではないでしようか。

『忙しくて、そんなこと考えていられない』と言われればそれまでですが。

次回は、国が食に関してどのようなことが問題だと考え、どのような方向性を示しているのか?
厚生労働省が示している『食生活指針』について書いてみたいと思います。

コラムニスト

管理栄養士  伊藤 教子 

長年、管理栄養士として病院の給食管理・栄養管理に従事後、現在、内科糖尿病専門医院にて糖尿病を中心とする生活習慣病、高齢者の低栄養等の栄養食事指導をしています。
ライフワークとして「あなたの体は、あなたの食べたものでできている」ということを意識した「食」の啓発活動を行なっています。

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