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多くの人に支えられて得た経験と力を、つらい人を支えるために|元日本スーパーフライ級チャンピオン・作業療法士 中広 大悟さん

多くの人に支えられて得た経験と力を、つらい人を支えるために

プロボクサーとして、新人王、日本王者奪取、防衛成功という華々しい実績を刻んだ中広さん。職場で携わってきた精神的なハンディを抱えた人のサポートに、より専門的に取り組む決意をして、引退後に作業療法士の資格を取得。さらに発達障害、児童虐待、ひきこもりなど、様々な問題にも関わるようになり、つらい思いをしている人や悩んでいる人をもっと幅広く支える方法を模索してきました。届けたいのは心身の健康と笑顔。誰もやっていないことこそ挑戦したくなるという中広さんの思いを聞きました。

インタビューに快く応じてくれた中広さん

ボクシングを始めたきっかけは?

三次で生まれ育ち、小学生からやっていたサッカーが強い高校に行きたいと思いました。自分なりに調べて、県外の私立はお金がかかりすぎるからと皆実高校を受験しました。最初は三次から通っていましたが、さすがにしんどくなり、友人がいる町なら心強いだろうと部屋を借りることにしました。それが庚午で、やっぱり学校まで自転車で通うのが大変で、昔から考える前に動く性格だったと思います(笑)。

サッカー部は高校3年生の時にインターハイ優勝を果たし、卒業後にJリーガーになった同級生もいました。契約金でアウディを買って学校に来た彼を見て、あのキラキラした世界に自分も行きたいと強く思い、早くプロになれるスポーツとして思い浮かんだのがボクシングだったんです(笑)。大学に進学してから、自分でジムの門を叩きました。

三次での幼少時代

ボクシングを始めてみると、本当にしんどいし殴られれば痛いんですけど、とにかく楽しくて、もっと強くなりたくてどんどんのめり込みました。その時、自分はサッカーをそれほど好きじゃなかったことに気付きました。ボクシングが、人生で初めて出合った真剣に向き合えるものでした。

広島で、大学や仕事とボクシングを両立されました

大学1年でボクシングを始めて、翌年プロテストに合格し、福岡で臨んだデビュー戦で勝利を収めました。4万円のファイトマネーのうち手取りの3万円ほどをもらった帰りの新幹線の中で、好きなことをしてお金がもらえるなんて最高だと思いました。

練習より、試合で殴られるより、とにかくつらいのは減量です。けれども勝った時の達成感はそんな苦労も全部忘れるくらい大きくて、さらに上を目指し、大学3年の時に新人王を取って日本一になりました。

その一方で、大学も休まずに朝から授業も全部出て、夕方ジムでトレーニングして、その後深夜までバイトをする、という生活を続けていました。あまのじゃくなところがあり、人がやっていないことこそやってみる価値があると考えていて、当時の学生の多くが授業にも出ずに遊んでいるなら、俺は出ようと決めていました。大学院進学を決意したのも、院生プロボクサーという前例がなかったから。広島にとどまり続けたのも、地元が好きだったということもありますが、東京や大阪の大手ジムに所属していなくてもできるというところを見せたかったという理由が大きい。幸いにもプロボクサーとの両立を受け入れてくれた「医療法人せのがわ」という職場と縁があり、2008年には広島のジムに所属する選手としては30年ぶり2人目の日本王者、2009年には初の防衛成功という実績を残すことができました。

その後、作業療法士を目指した理由は?

ボクシングと両立できることを優先して決めた職場でしたが、任されたのは精神的な疾患を持つ方々のデイケアの補助でした。自分がサポートする立場であるのに、逆に患者さん達の応援にたくさん力をもらってチャンピオンにまでなることができました。その恩返しの思いもあり、ボクシング、仕事と並行して専門学校に通い始め、引退後に作業療法士の資格を取得しました。悩んでいること、困っていること、つまずきのポイントなどはそれぞれ異なるため、安心して日常生活を送れるようなるためには、その人その人に合った心と体のリハビリが必要になります。作業療法士は一人ひとりに寄り添って、回復を支えることができる専門家です。

また「何事も自分で“経験”してみないと本当の理解はできない」というのは自分のポリシーの一つで、患者さんに接して初めて知ることがたくさんありました。精神的な不調で悩んでいる方々が特別なのではなく、誰がいつ何のきっかけで、命を絶ちたいと思うほどの心の辛さを抱えるかはわからないということ。誰にでも起こり得ることなのに、世の中にはまだ強い偏見があることもわかりました。その偏見を一つでも減らしたくて、講演活動なども行うようになりました。

作業療法士としての中広さん

さらに新しい“リング”への挑戦を考えていると聞きました

そうした活動を通して多くの人とつながり、発達障害、いじめ、虐待、ひきこもりなど、さらに様々な問題で悩んでいる人、困っている人がいることを知りました。そして、もっと多くの人に自分の“経験”を役に立てられるのではないかと、活動の幅が広がっていきました。体を動かすことから心の元気を取り戻すお手伝いをしてきた訪問看護のノウハウは、引きこもりの人への声掛けにも力になります。虐待やいじめの問題で、人を攻撃すること、攻撃されることがどういうことかは、ボクシングを通じて嫌というほど知っています。

講演会やラジオで話したり、コラムを執筆したり、イベントを開催したりしてきましたが、コロナ禍で難しくなったこともたくさんありました。しかし、それも“経験”の一つと捉え、これから先もできること、やりたいことを考えました。そして計画を始めたのが、長年お世話になってきた「医療法人せのがわ」のスタッフとしての仕事を続けながら、中広大悟個人として困っている人の役に立つための“組織”を立ち上げることです。ボクシングのリング、広がる人の輪のリングをかけて「リングスHiroshima」と名付けたいと考えています。

具体的にはどのような組織活動を行う予定ですか?

まだ手探りなので、始めてから変更していくことがたくさんあると思うのですが、テーマは“健康”です。お金や時間があっても、心と体が健康でなければ何もできません。何をするにもまず健康であることが大切です。

現代は運動、睡眠、食事のバランスが取れずに、不健康になっている人が多い。だからパーソナルトレーニングが取り組みたいことの一つです。今まで全然運動していない人に、毎日1時間走れと言っても無理なので、その人に合わせてできることから。例えば外に出ることが難しいなら、自分で食器を下げることなどから少しずつできることを増やしていきます。心と体はつながっているので、体を動かして健康に近づけることで、自ずと心も健康になります。これは作業療法士としての経験もありますが、コツコツ筋トレを続けると必ずできることが広がる「筋肉は裏切らない」というアスリートの経験からも自信を持っていることです。

バランスの良い食事については、栄養学や食育などの知識も必要になってくるし、あらゆる問題解決のために自分一人でできることは限られています。だからこそ大切にしていきたいのは、人とのつながりや支え合いです。これもボクシングを通して得た大きな財産です。ボクシングは個人競技と思われていますが、自分の経験から言えば個人競技こそ団体競技。トレーナー、コーチ、ドクター、スパーリングパートナーなど、みんなで協力し合ってチームで取りに行くチャンピオンベルトであって、その中でたまたま闘う役割を担っているのがボクサーです。生きていく上で、何かを成す上で、いつも多くの人に支えてもらっていることへの感謝を忘れてはならないと肝に命じています。

ビジネスモデルのない新しい挑戦が始まり

先にも話したように、誰もやったことがないことへの挑戦の方が燃えるんです。まっさらな雪原を見ると足跡を付けたくなる性格(笑)。どんなことでも、あの減量の苦しみに比べたらたいしたことはないと思っているし、常にマルチタスクでやってきたので、いろいろなことに同時に取り組むことは得意です。

何よりポジティブなことが自分の強みで、フィジカルはもちろんメンタルにも自信があるので、うまくいかなければその経験を次に活かします。トップに立つ栄光と、そこから転落する落差を知っていますから、少々ではへこたれません。勝っている時はちやほやされ、負けた瞬間に手のひらを返したような罵声や批判を浴びたことも、たくさんファイトマネーをもらっていた時に寄ってきていた人が離れていったことも、全て経験したことが自分の財産になっているんです。

ボクシングをしていた時が人生の第1ラウンド、作業療法士になってからが第2ラウンドとすると、まもなく第3ラウンドのゴングが鳴るところです。もう一度、試合に勝った時のような達成感を味わえるように、みんなに「また中広がやりよった」と注目してもらえるように、全力で立ち向かっていきます。

中広大悟(なかひろ だいご)

1981年生まれ。三次市出身。広島皆実高時代はサッカー部で3年時のインターハイで全国優勝。広島経済大学に進学後、広島三栄ジムに入門し、ボクシングを始める。2001年にプロテストに合格し同年デビュー。広経大大学院に進学し、2006年にWBC世界フライ級王座に挑戦したが判定負け。医療法人せのがわに就職後、2008年に日本スーパーフライ級王者となり3度防衛。2014年4月に引退。通算30戦24勝(10KO)4敗2分。 2014年三次市市民スポーツ栄誉賞受賞。
現在は作業療法士として訪問看護の仕事を続けながら、青少年育成、児童虐待撲滅、ひきこもり支援など活動の幅を広げている。

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