ミック・リガールグループ 代表 松本 一郎さん

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ミック・リガールグループ 代表 松本 一郎さん

つながったご縁を大切に、地域に必要とされる調剤薬局グループに

広島市安佐南区エリアを中心に市内外で「ミック」「パール」の名前で親しまれる調剤薬局を展開するミック・リガールグループ代表の松本一郎さん。医薬分業が進み始めた黎明期から調剤薬局事業の立ち上げに関わり、2024年に30周年を迎えました。65歳の節目を前に、時代のニーズに即して成長させてきた事業を次世代に託すことを決めた今の思いを聞きました。

インタビュアー

創業に至ったきっかけを聞かせてください。

松本さん

一人っ子だったので、大学卒業後は広島に戻って働こうと考えて、医薬品卸業の会社に就職しました。仕事は担当した安佐南区エリアのクリニックを回るルート営業。ドクターの個性に合わせた対応や提案には、それなりにやりがいや手応えを感じていました。

12、3年くらい仕事を続けていたある日、担当ドクターの一人から「これからは医薬分業が進んでいくから、松本くん調剤薬局をやらないか」と声を掛けられたんです。医薬品業界にいてこれから必要とされる事業ということも理解していたので、「やってみようか」と決意しました。1994年8月に松本一郎の頭文字「MI」と一緒に立ち上げた同僚の頭文字「KK」を合わせて「MIKK(ミック)」と命名した有限会社を立ち上げ、8月に1号店のナカス薬局を開きました。

ミック・リガール本部。現在はミックの14店舗と子会社リガールの4店舗をグループで統括する

インタビュアー

その後店舗も増え、成長を続けてこられた秘訣は?

松本さん

店舗を増やすことができたのは、紹介してくださった方々とのご縁のおかげです。サラリーマン時代に築いたドクターやメーカーさんとのおつき合いから、ネットワークを広げていきました。地域医療を支える役割も担うため、薬局の少ない地域にも進んで出店しています。

調剤薬局というのは、出店に関しては営業努力ができても、出店後は積極的な働きかけが難しい。お客様は患者さんで、処方箋を発行するのはドクター。こちらが売りたいものを売る事業ではないからです。ただ、上から目線のような対応はしないこと、わかりやすい説明を心がけることなどの当たり前のことは徹底してきました。なんでも相談しやすくて、「ここで処方してもらったら安心」と選んでいただけるように、一店一店が地域に根ざしていくことを目指しています。

インタビュアー

訪問サービスなどでも地域に貢献されています。

松本さん

時代のニーズに応じて、外出が難しい高齢者の患者さんなどへ処方箋の受付、薬の処方や管理などを行う訪問事業を行っています。高齢者施設では一部屋一部屋を、個人宅では一軒一軒を訪ねて、薬や飲み方を説明し、必要に応じてお薬カレンダーにセット。飲み忘れなどが見られれば、スタッフやケアマネージャー、ご家族に相談して、一緒に安全な服薬方法について考えます。近年では飲み忘れや服薬の重複などを予防する「服薬支援ロボット」の貸出も行っていて、ドクターからも注目されています。

2024年には医薬とのネットワークを強みに地域の在宅介護を支えられるよう、「ヘルパーステーションすみれ」も開設しました。

松本 一郎さん
インタビュアー

引退を決意された今、事業の今後をどのように考えていますか?

松本さん

2025年12月に65歳となるため、2026年3月に社長を息子に託して会長に退く決意をし、引き継ぎを進めています。調剤薬局というのは、常に国の決定に左右されるところが大きく、先にも述べたように積極的な営業活動もできない事業です。これから先も国の方向性次第という側面は否めませんが、私の代では調剤薬局事業の礎を築く役割を担ったと考え、これからは次の世代を信頼して任せることにしました。

現在でも電子処方箋、電子カルテ情報共有サービスなどの医療DXへの推進は、もう若い世代に任せていますから、これからも時代に即しつつ地域の人に安心を届けられる場所であり続けてほしいと考えています。

まだしばらくは会長として、また子会社のリガール社長として仕事に関わりますが、一段落したらまず妻と旅行に行くつもりです。新婚旅行で訪れた北海道の宿に、また泊まりに行ってみたいね、と話しています。

インタビュアー

少年期や学生時代の経験が事業に活きたと感じることは?

松本さん

特にないですね(笑)。生まれは原爆で焼け残った段原の町。舗装もされていない細い道や近くの比治山で遊んでいた普通の少年でした。家は祖父の代から続く果物屋。私が独立して会社を立ち上げる時にあまり抵抗がなかったのは、自営業の家で育ったからかもしれません。サラリーマンだった妻の父にはとても心配されましたから。

大学の時だけは広島を出て愛知に進学。その時に先輩に無理矢理応援団に入れられて。今ではありえないくらい上下関係が厳しくて、それはもう大変でしたよ。1年生の時には、野球部が神宮の大会まで進出したんです。その時は早稲田大学にいた岡田さん(元阪神監督の岡田彰布さん)に逆転ホームランを打たれて敗退。負けたのは応援が足りなかったせい、ということで神宮球場の周りをうさぎ跳びさせられたことは今でも忘れられませんね。

ご自身の健康維持のために心がけていることがありますか?

日常的に運動したりはないですが、検査だけはこまめに受けるようにしています。これまでに2度急性膵炎を患い、今も慢性膵炎を抱えているので、半年に一回はMRIを受診。また胃カメラは毎年、大腸カメラ検査は3年に一回受けています。飲酒も控えた方がいいのですが、一週間に一回程度は楽しんでいるかな(笑)。

ゴルフは会社主催のゴルフコンペを続けていて、年々参加者も増えプロを招いたりもしていましたが、コロナを機に終わりにしました。ゴルフに興味のない若い社員も増えてきたので、次の世代の負担にならないように考えてのことです。今は友人たちと年に3回のゴルフを楽しんでいます。

プロゴルファーのサインなど、コンペの思い出の品々
プロゴルファーのサインなど、コンペの思い出の品々

プロゴルファーのサインなど、コンペの思い出の品々

松本 一郎(まつもと いちろう)

1960年広島生まれ
有限会社ミック・有限会社リガール代表取締役社長
愛知学院大学経営学部卒業後、医薬品営業の仕事を経て、1994年8月有限会社ミック設立。
同11月 ミック・ナカス薬局開局。
1997年 子会社となる有限会社リガールを設立し、パール薬局を開局。
現在は、広島市、東広島市、三次市、岩国市などに調剤薬局を展開するほか、ヘルパーステーション、コインランドリーなどを運営。

ミック・リガールグループ:https://mikk-ligar.jp/

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