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田原亜紀 / Kiara|インタビュー|ファミリードクター

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癌や心の痛みを乗り越えた思いを、人の心に響くアートに込めて|田原 亜紀さん

癌や心の痛みを乗り越えた思いを、人の心に響くアートに込めて

「Kiara(キアラ)」のアーティスト名で、「曼荼羅アート」を中心としたアート活動に取り組む田原亜紀さん。黒い紙に、一つひとつ点を打ち込みながら描き上げる「曼荼羅アート」は、その緻密さ、色の美しさ、幾何学模様とモチーフが織り成すデザイン性、そして曼荼羅ならではの宇宙や輪廻を想起させる世界観で、見る人の心に深い印象を残す。生死に関わるような体験も経て、これまでの思いを打ち込めるような活動に出逢えたと語る田原さんのお話を聞きました。

プロフィールを拝見しましたが、今の活動に至るまでにいろいろな経験をされたのですね

ちょうど今、自分史を作ろうと考えていて、いろいろ記憶を整理したり、資料を集めたりしていたところでした。今日も何を聞かれても良いように、たくさん資料を持ってきました(笑)。

もともと美術系の勉強をしたわけでもなく、いわゆる普通の企業で働く会社員でした。けれども精神的には、ずっと普通の状態でいられたことがなく、常に不安定でした。躾の厳しい家庭環境で育ち、常に怯えて両親や祖父母とも良い関係が築けず、家を出た寮でも団体生活に馴染めず、最初の結婚生活もうまくいきませんでした。パニック障害や過呼吸、あまり大きな声では言えませんが自ら命を絶とうとしたことも一度ではないですし、ストレスで寝ている間に自分の歯を噛み砕いてしまったこともあります。

当時は、どうして自分ばかりこんなつらい思いをするのだろうと、環境を恨んだり、自己嫌悪に陥ったりしていましたが、今振り返ってみると自分も周囲に求めてばかりだったと思います。

転機の一つは今のご主人との出逢いですか?

そうですね。もう一人で生きていくしかないと覚悟を決めて、自分を守るためにガチガチに固めていた鎧を外して、楽でいられると感じたのが夫でした。

そんな夫が転勤になり、メキシコで暮らしたことも大きかったです。日本人が少ない街で珍しがられ、鶴を折って見せたら「あなたはマジシャンか」と驚かれました。ぜひみんなにも教えてほしいと、折り鶴のワークショップを開いたら、現地の新聞にも取り上げられました。

思うように言葉が通じなくても、お互いに寄り添う心があれば心が通じ合えることも体験しましたし、「ヒロシマ」「原爆」「平和」というキーワードに想像以上に関心が高く、折り鶴を通して広島のことを伝えられることにも、何か縁や使命のようなものを感じました。

何より、広島でなくても、日本でなくても、同じ人間であれば地球のどこででも生きていくことができるという自信が、これまでの悩みを些末なことに感じさせてくれました。

メキシコでの折り鶴ワークショップの様子

メキシコの新聞や雑誌でも活動が取り上げられました

当時の思い出や体験などを語ってくださる田原さん

その後、乳癌を経験されました

メキシコに行ったり、日本に帰ったりの生活をしていましたが、そのうちに「ビザを取得してゆっくりメキシコに滞在できるようにしたら」と勧められ、その手続きのために予定を3ヶ月早めてメキシコから一時帰国することになりました。実はその渡航前から、やや胸に異変を感じていましたが、乳腺の石灰化だろうとやり過ごしていました。しかしメキシコ滞在中に、しこりのようなものが大きくなっていることに気づき、帰国のついでに検査をしておこうと病院を訪れたのです。

後日「検査結果をお伝えしたいのでご家族を呼んでいただけますか」と言われ、「癌だったのだ」と直感しました。両親や姉兄には心配をかけたくなく、夫もメキシコにいたので、「自分で聞きます」と答えて一人で聞きました。

既にリンパ節にも転移しており、「ステージ3a」と告げられ、覚悟はしていたものの涙があふれました。

抗癌剤治療中の田原さん

抗癌剤の影響で髪が抜けた時は、被爆者たち体験に思いを重ねました

それから治療と向き合われたのですね

様々な葛藤を経た後、まず抗癌剤を試して癌を小さくしてから切除する治療方針に決めました。当時、知人との間に金銭トラブルも抱えており、いろいろなストレスを溜め込んだことが、癌につながったのだと思います。

こんなにたくさん辛い思いをしてきて、挙げ句にお金も命も取られて、なんて悔しい人生だろうと散々泣きましたが、そのうちにふと、「ずっと泣いて生きてきたのだから、最期は笑って死んでやろう」と開き直ることができたのです。

考えてみれば、たまたまビザのことで予定より早く帰国したからぎりぎり間に合ったのかもしれません。だから、「自分は生かされている。死なないかもしれない」と気持ちを切り替えて、これまでおざなりにしてきた分も自分の身体を精一杯愛して労(いたわ)ろうと決めました。

左が治療前、右が治療後の画像。左胸の黒い影がなくなっていることがわかります

一番心掛けたのは「許す」ことです。誰かから嫌なことを言われても「たまたま機嫌が悪かったのかもしれない。誰にでもそういうことはある」と考え方を変えました。どうしても許せない時は、「許せない自分」を許すことにしました。癌細胞でさえも、愛情をもらえなくて凝り固まってしまった自分と重ね、「これまでごめんね。愛しているから、そこにいてもいいよ」と細胞一つひとつに語りかけるように、自分自身に向き合いました。

治療を続けながらそんな日々を過ごしていると、もちろん抗癌剤が身体に合ったことも大きいのですが、3ヶ月後には癌がなくなっていました。自身でも負の感情を排出してやりきった感があり、もう大丈夫と思えたのですが、夫や周囲に勧められ「それでみんなが安心するなら」と左胸の摘出手術を受けました。

曼荼羅アートと出逢ったのは?

落ち着いたころ夫から、「あなたは人間関係で疲れてしまうことが多いから、自分一人で没頭できる趣味を見つけてみたら」と言われました。何か探していた時に、曼荼羅を描く体験教室があり、ピンと来るものがあって参加しました。

黒い紙にコンパスと分度器を使って図案を描き、ゲルボールペンで点を打つように彩色していくもので、夢中で点を打っている間はまさに〝無〟になれ、すぐにハマりました。最初は基本的な幾何学模様をデザインしていましたが、そのうちにモチーフを取り込むなど自分らしくアレンジするようになり、オーダーを受けたり、個展を開いたりするようになりました。

曼荼羅とは「円」「真髄」「調和」を意味するサンスクリット語です。それを私なりに、これまでの経験や思いを込めて表現しています。そんな作品から何か癒しの力を感じていただくことで、私の体験が少しでも役に立ち、人を救うことに繋がることを願っています。さらにカウンセリングの手法を取り入れた活動に発展させたいと、現在勉強を重ねているところです。

宮島大聖院で展示会を行った時の会場の様子。外国人も含め多くのお客様に興味深く見てもらえました

様々な場所で曼荼羅アートのワークショップも開催。写真は中区の妙慶院で開いた時のもの

メキシコでも曼荼羅ワークショップを実施。お国柄を反映し皆さん自由に楽しみます

メキシコでのワークショップ後の記念撮影。メキシコの友人とは今も交流が続いています

田原さんからのメッセージ

生と死について考える経験を経て、普通に生きていることは当たり前ではないことに気づき、「感謝」「笑う」「許す」ことを意識して「生きる」覚悟を決めました。「笑う門には福来る」を座右の銘に、笑い、許し、感謝の気持ちを皆様と共有したいと願っています。

私は心が落ち着くまで、「ありがとう」「大丈夫」と言い続けました。何千回、何万回も言い続けたら…本当に有り難い事が起こりますよ!「今」が辛くてもそれを受け入れて、「今」に集中し、「今」を自分軸で生きる。私の経験や作品や活動が、その後押しになれば嬉しいです。

田原亜紀 / Kiara(たばら あき / きあら)

1971年広島市生まれ。
基町高校、広島会計学院卒業後、約20年間会社員を経験。
2014年の乳癌発症、治療を乗り越え、2015年より「Kiara」のアーティスト名でアーティスト活動を開始。日本とメキシコ各地で個展とワークショップを開く。2018年アトリエブラック公募作品展入賞、2020年東京・銀座にて「KIZUNA2020」グループ展出店など。 自らの活動を「Kiarart(キアラート)」と名付け、点描画、ストリングアート、チョークアート、水引アートなど、枠にはまらない活動を続ける。

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