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〝自分らしく生きる〟ことを伝える|乳がんサバイバー 當野 都由美さん

ブログで事前に拝見していた當野さんは、とても迫力がある美人。ちょっと気後れしつつお会いしてお話を伺ってみると、とてもフレンドリーでよく笑う魅力的な方でした。當野さんのこれまでの生き方と、乳がんという体験を経ての新しい挑戦について聞きました。

あふれる行動力のままに、常に新しいことへ挑戦

美容家として起業するまではOLも経験されていたのですね

子どもの頃から好きなことにはずば抜けて力を発揮するタイプで、中学の時はそれが美術と体育だったので、スポーツ特待生として高校に進学しました。卒業後は化粧品会社の美容部員になりたいと思っていたのですが、「普通に就職して、普通に結婚して」という母親の願いに押される形で、一般企業の事務員に。仕事の要領も良かったのですが、自分でも向いていないと感じていたし、経験した2社とも上司から「當野さんは自分で何かやった方がいいよ」と言われました。母親にも「とりあえず言う通りにするけれど、合わないと思ったら今度は好きにするから」と話していたので、転職を決意。デザインか美容の道で悩み、美容学校の方が学費の負担が少なかったこともあり、22歳でアルバイトをしながら美容師の専門学校に通うことにしました。

水を得た魚状態ですか?

他の学生に比べてスロースタートでしたが、やはり感性に合っていたのか先生に認められるのも勧められた大会で受賞などの実績を出すのも早かったです。美容業界で今で言う〝働き方改革〟を実現するためにも早く自分の店を持ちたかったので、アルバイトで経験を積みながらお金をためて、28歳で自分のサロンを開きました。

お客様の希望を感じ取る力にも恵まれていたし、常連さんになるとその時々の変化にも気づいていろいろな悩みの相談に応じることも多かったので、喜んでくださって紹介も増えていきました。また、もともとトータルで人を綺麗にする仕事をしたいと思っていたので、早くから着付けやメイクなどの技術も身につけ、ブライダル美装にも携わるようになりました。

「美容の仕事は天職。多くの女性を綺麗にしていくことが楽しくて夢中で取り組みました」と都由美さん

次の転機は何でしたか?

10年単位で自分の人生を見直していて、20代はやりたいことのための準備期間、30代は美容の世界で実績を作ることに打ち込み、次の40代でやりたいことは何だろうと考えていた時に興味を持ったのが、外面だけでなく内面からも美しくなるお手伝いをするための心理学でした。お店を社員に任せて上京し、強い影響を受けた講師から学び、自己啓発セミナーなどの講師として全国各地を飛び回る日々を送りました。

そしてまた10年経って、今度は故郷の広島で何か役に立てることをしようと決意して帰ってきたのです。けれども帰ってきてみれば、想像していた以上に自分が無名で無力だと思い知らされることになりました。

心理学を学んで、全国を回って人気講師としてのキャリアを重ねていた頃

突然のがん告知から、本当に自分がやりたいことに向き合う

がんが見つかったのはそんな時ですか? それまで検診などは?

病院が嫌いで検診などは全然受けていませんでした。実はその1、2年前から右胸にしこりのようなものがあると気づいていたのですが、30代の時に同様のことがあって受診したら「これは乳腺ですよ」と言われて恥ずかしかったので、これも乳腺だろうと思うようにしていたのです。そんな時にたくさんお酒を飲んで寝た翌朝、右腕がうまく動かせなくなっていて、「脳梗塞かも」と思って慌てて近くの病院に駆け込みました。

けれども「申し訳ないですが当院には脳外科がないので」と言われ、「いや、実は胸にしこりもあるんです。診てください」と食い下がって(笑)。たまたま外部の専門の先生が来られる曜日だったので、運良く診てもらうことができました。その時は「乳腺かもしれませんが、念のために検査もしておきましょうね」と言われ、後日結果を聞きに行ったら「當野さん、どうも悪いやつだったよ」と。

自分が病気、しかもがんになるなんて思ってもいなかったので、かなりショックを受けました。でも今になってみれば、広島に帰ってきてから、自分の強すぎるパワーを発揮する場がなくなって、ストレスとして体の中に溜めてしまっていたのだと思います。ちなみに右腕は関係なかったみたいで、いつの間にか治ってました(笑)。でもそのお陰で命拾いしました。

がんの発症は青天の霹靂だったが、自分と向き合う大切な時間をもらったと考えるように

それから手術を受けられたのですか?

総合病院で再検査して手術が決まりました。その少し前に乳房再建が保険適用されるようになっていて、整形外科の先生の説明を受けたらとても信頼できると感じたので「お願いします」と伝えました。

手術は全身麻酔で行われ、目が覚めて傷が落ち着いてきた頃に自分の右胸を見たら、確かに大きな傷があって乳首もなくなっているのに、風船のようなものが入れられて膨らんでいて不思議な気がしました。幸いなことにリンパなどへの転移は見られず、経過観察しながら乳房を再建していくことになりました。

私が受けたのは「インプラントによる乳房再建術」で、胸の中の風船に少しずつ生理食塩水を注入して周囲の皮膚が伸びるのを待ち、インプラントというシリコン製人工乳房を入れ、最後に乳首を再建する手順でした。

乳首を再建した時は、術後から2年程度経過していました。その少し前にお風呂上がりに自分の裸を鏡で見た時に突然、「綺麗だから写真を残しておこう」と閃いて決意していたので、整形外科の先生に「ヌード写真を撮りますよ」と伝えたら、「それはいいですね」と笑って丁寧に計測してくださいました。

私が勧められたのは、左の乳頭を切除して右に移植し、乳輪を刺青で着色する術式で、その後、見た目にも、触れた時の感覚も、元の胸と変わらなくなったことに驚いています。

前向きな明るさを失っていない術後の都由美さん

これから挑戦したいことは何ですか?

手術後しばらくは、これまで外に向かって全力で走ってきた分、少し内面に向き合い、ゆっくり体を休めることにしました。本を読んだり、好きなものを食べたり、友達とおしゃべりを楽しんだり。

けれども少しずつ周囲が「都由美ちゃんはじっとしていることが向かないんだから、また何かやりたいことを探したら」と言ってくれるようになりました。そして、今の自分にできることは何だろうと考えた時、これまでの私の経験を誰かのために役立てたいと思ったのです。術後の上半身裸の写真を撮ったのも、他の人にはできなくても私にはできるなら挑戦しようと思ったからです。

外見から美しくすることも、内面から美しくすることも、人に話すことも、病気も、全て経験してきた私〝當野都由美〟だからこそ、誰かの力になれることがあるのではないかと思っています。そのために講演にも出掛けますし、個別のカウンセリングにも応じます。あなたやあなたの大切な人が〝本当に自分らしく生きる〟ために〝當野都由美〟を役立ててください。

気の合う仲間たちとの時間もまた楽しめるように。「元気づけてくれる仲間たちにも恵まれたと感じています」

當野さんからのメッセージ

乳がんサバイバーとしてのメッセージは、まず「検査にはきちんと行ってください」ということにつきます。自営業やパート勤務、専業主婦などの女性には、私のように定期検診に行っていない人が多いと聞きますが、日本では乳がんの罹患率が増えています。早期発見できれば死亡率も低いので、定期的に検診やセルフチェックを行ってほしいと思います。

また乳房を失うことが嫌で手術をためらっている人にも、現在は乳房再建に保険が適用され技術もかなり高いことを伝えたいです。不安を感じておられる方には、希望があれば術前術後の写真もお見せします。

あなたの大切な人のために、生き抜くための行動を選んで、自分らしい人生を楽しんでほしい。そのために私にできるお手伝いをさせてください。

當野 都由美〈とうの つゆみ〉

1962年広島市生まれ。寅年のB型、みずがめ座。
美容家として数々の美容サロンをプロデュースし、美容の枠だけにとらわれず身体と心磨きをテーマに全国で講師活動を行う。2016年に乳がんを発症し、手術、乳房再建を経験。自身の経験を活かして、多くの女性達の勇気と希望となるために〝自分らしく生まれ変わる〟美脳JUKUプロジェクトを立ち上げ。

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